kininaru編集部メンバーが、北近畿の“キニナル”をご紹介するコーナー♪
今回は「鉱石の道」がキニナル!ということで、朝来市生野町の街並みを中心に探ってまいりました~♪
暑かった今年の夏も、ようやく秋の気配に...同じ暑さ・気温でも、質が違う感じ...そんな秋のお出かけスポットとしてご紹介したいのが・・・😆ズバリ「鉱石の道」です!!
これらの3つの鉱山のエリアは平成16年に「鉱石の道」と命名され、平成19年には経済産業省の近代化産業遺産群に認定されました。この「鉱石の道」エリアは、今も残る鉱山遺産とともに鉱山町の景観、歴史、生活、文化など様々な地域の姿を通じて、日本の鉱山史を丸ごと体感できる貴重なエリアです。(https://koseki-michi.com/kosekinomichi/ Copyright 2010 鉱石の道-公式サイト.)
では、生野銀山から紹介いたします。立派な門がお出迎えです。
明治9年(1876)に完成した生野鉱山新工場の正門は、史跡生野銀山に移転し保存されています。大小2組の門柱で、大柱は幅・奥行ともに1m、高さは4.6mもあります!
また明治政府の所有を示す「菊の紋章」が入っています。鉱石の道エリアには、他にもこの「菊の御紋」の入った施設が残っています。
生野銀山史跡の入り口です。ここは有名ですね~♪
続いて、口銀谷・奥銀谷と言われる生活エリアへ移動します!
ここは、明治期の生野鉱山の職員官舎、大正期には鉱山職員用の社宅でした。屋根は、カラミ瓦が使われているそうです!
この辺りには、生野鉱山で働く人々の住宅や役人の邸宅などが多く、今も伝統的・歴史的建物として遺されています。俳優の志村喬さんも、ここの鉱山社宅で育ちました。
『志村 喬 生誕の地』との石碑が立っています。
志村 喬さんは、黒澤明作品の名作『生きる』『七人の侍』などで活躍され、いぶし銀の演技が国内外から高い評価を得ています。
黒沢 明監督作品『用心棒』のポスターです。字が小さくて見えないかも知れませんが、志村喬さんも、三船敏郎さんや仲代達矢さんらと共に、名を連ねておられました。やはり名優!!
志村喬記念館は、残念ながら休館日(^_^;)
寺町通りは、8つのお寺(八ヶ寺というそうです)が連なっています。一部のお寺には、塀や階段などにカラミ石が使われ、通り沿いにはこの様に立派な石垣も見られます。
カラミ石とは、銅などを製錬する時にできたカスを固めた、鉱滓(こうさい)と呼ばれるもので、地元では「カラミ石」と呼ばれています。鉱山周辺の家の土台や塀、水路、公園のベンチなどで使用されているそうです。
さて…歩いていると、市川沿いに出ました。ここにトロッコ軌道跡があるらしいのですが...
トロッコ軌道跡とは、生野の町を走っていた馬車鉄道を廃止して、大正9年(1920)に電車軌道として完成しました。市川にアーチ形に石垣を積んで、川に張り出して線路を確保。今もその美しい姿を見ることができるんです~
この電車は、明延を走っていたそうですが、生野銀山史跡の方に展示されてました!
そろそろ帰路にと車を走らせていると、道路沿いに何かが...通り過ぎそうになりましたが、なんとか車を停めると…
…羽渕(はぶち)鋳鉄橋でした! 明延鉱山から神子畑選鉱場を経て、生野鉱山へ鉱石を運搬する専用道路に架かる鋳鉄橋で、「羽渕のメガネ橋」とも呼ばれているそうです。
以上、今回は生野鉱山エリアでしたが、「鉱石を運び精錬する」…言葉ではたったこれだけのことが、こんな大きなスケールで行われていて驚きでした。神子畑選鉱場や明延鉱山も含めてこそ『鉱石の道』なので、また機会が有れば、そちらも散策してみたいと思います。歴史や昔のものに興味が有る方は、どのエリアも色々と楽しめると思いますよ~是非~♪
場 所 | 朝来市 生野町 口銀谷 他 |
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読み方 | あさごし いくのちょう くちがなや |
交通手段 | 播但自動車道『生野IC』より国道312号を北へ429号を東へ |
ホームページ | 鉱石の道ホームページ(https://koseki-michi.com/) |