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細川ガラシャ大河ドラマ化に向けた署名を集めています!

KININARU-キニナル-編集部メンバーが北近畿のキニナル話題や情報を紹介するコーナー!

今回は、京丹後に語り継がれる伝説の美女、丹後七姫の一人「細川ガラシャ」のNHK大河ドラマ化に向けた署名活動についてのお話です!

京丹後市のPR活動としてガラシャを大河に!

京丹後市では、NHK大河ドラマ誘致推進協議会に加盟し、「ガラシャを大河に!大河ドラマ誘致キャンペーン」と題した、細川ガラシャと明智光秀を中心とするNHK大河ドラマ化を誘致するための署名活動を実施しています。

大河ドラマ化により、細川ガラシャと細川忠興、明智光秀、細川幽斎の人物像と絆の強さを多くの人に知ってもらい、ゆかりの地とされる京丹後市の地域活性化を図っています。

署名キャンペーンについて
キャンペーン期間

平成29年12月1日(金)~平成30年1月31日(水)

署名受付場所

署名はインターネットでも受け付けていますので、一人でも多くの方のご支援・ご協力をお願いいたします!

インターネット署名はこちら

 

細川ガラシャ(細川玉子)にまつわるお話

明智光秀の三女として生まれた「玉子(後のガラシャ)」は、丹後田辺城(現在の舞鶴市)の細川忠興のところに嫁ぎました。

父である光秀は、織田信長を討った本能寺の変の後、山崎の合戦で羽柴秀吉に敗れ、落ちのびる途中、命を落とします。逆臣の娘となった玉子は、味土野(現在の弥栄町味土野・みどの)に幽閉されました。

幽閉中、玉子は侍女の一人からキリスト教の話を聞き、救いを求めるようになります。やがて玉子は改宗してキリスト教の洗礼を受け、「ガラシャ」という名を授かりました。石田三成と徳川家康の対立から、石田三成に人質として登城するよう脅しを受けてもきっぱり拒否し、慶長5年(1600年)家来に命じて、屋敷に火を放ち自らの命を絶ちました(キリスト教徒は自害を禁じられていたため)。

ガラシャの死は「義死」と言われ、その影響の大きさに驚いた三成は、諸大名の妻を人質にとるのを中止したそうです。「ちりぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ(花も人も散りどきを心得てこそ美しいのだ)」という有名な辞世の句が残っています。

詳しくはホームページへ!

大河ドラマ誘致推進協議会様のホームページでは、インターネット署名受付の他、登場人物の家系図や略年譜、ゆかりの地やイベントの紹介、史実に基づいた投稿ストーリーなど掲載されています。
ぜひ一度ご覧になってみてください^^

キャンペーン詳細情報
キャンペーン名 ガラシャを大河に!大河ドラマ誘致キャンペーン
期間 平成29年12月1日(金)~平成30年1月31日(水)
お問い合わせ先 TEL:0772-69-0450
FAX:0772-72-2030
メール:kankoshinko@city.kyotango.lg.jp
商工観光部観光振興課
ホームページ http://www.taiga-dorama.com/